関西小学生・初優勝の翌年、2011年は、課題と向き合ったシーズンでした。
小学校を卒業して中学生となった女子をどうにか試合に出させたい。
そのために実現したのが岩国米軍基地での大会参加でした。
学事スケジュールが異なるアメリカでは、参加資格13歳以下というレギュレーションがあると知り、夏からコンタクトをはじめて12月の大会に参加させていただきました。
このことについては、遠征を前に、スポーツライターの方が取り上げてくださいました。
(2011年11月11日付 日本経済新聞・夕刊「いまドキ関西」欄)
NIRSA(全米学内対抗レクリエーショナルスポーツ協会)が定めるルールを経験できたことは今でも貴重です。
フィールドが100ヤード×40ヤードと、JFFOルールの50ヤード×30ヤードよりかなり広く、使用するボールも日本とは異なり大きなサイズのものでした。パントも許されていて、スピンをしても構いません。
ファーストダウン獲得までは20ヤードを必要として、そもそも7人制なので戦術スキームも別です。スクリーンブロックもOK、試合時間も長く「アメフト的」。
当日は、日本ではあまり馴染みのないダブル・イリミネーション・トーナメントで行われ、大きな優勝トロフィーを手に帰ってきました。
地元新聞では、大々的に取り上げられました。今でも米軍海兵隊のホームページで閲覧できます。
(2011年12月9日付 THE IWAKUNI APPROACH)
基地内での「アメリカ体験」など、当時のメンバーとはたくさんの思い出を共有しています。
アテンドしてくださった日本人スタッフの方には事前調整からずいぶんお世話になりました。
圧倒的な強さを大量卒業で失い、レギュラー5人のうち4人を女子が占めるチームとなり不安なシーズンでしたが、公式戦においては、春はトーナメント準優勝、秋は関西ディビジョン3位という好戦績を収めてくました。
その原動力は、当時の厳しい練習を乗り越えた女子の「真面目さ」だったと思います。フラッグフットボールを競技として評価して、全力で取り組んでくれました。
この頃の女子は、翌年の2012年に 第一回 NFL FLAG 岡山大会でエキシビジョン開催の中学生女子で勝ち、正式採用された2013年には優勝してタイトルを獲りました。
また、続く2014年には一般女子で優勝、チーム名を全国に知らしめてくれました。
環境のせいにはせず、課題と真っ向から向き合い、変化に対応するマインド。これらが生まれ、育まれた時期でした。
この春、チームは7人の6年生男子が卒業、大量卒業と向き合うことになります。また新たな取り組みが始まります。