2016年8月16日火曜日

甲子園ボウルの思い出と今後への期待

この春に来てくれた子どもたちの中に、昨年の甲子園ボウルにあわせて行われたフラッグフットボール体験会に参加した小学2年生がいます。きれいなスパイラルがかかった良い球を投げて見せてくれました。

 甲子園ボウルといえば、高校生時代に観た関学vs日大が印象深く記憶に残っています。当時は河川敷のクラブチームでアメフトを始めたころで、国内最高峰のゲーム展開に興奮しました。
 大観衆の中で鳴り響くブラバンの音色や地響きのような歓声に鳥肌が立ったことは、今でも思い出されます。
 大学に進学し、アメフトを続けることになり、1回生の時にチームメイトとともにアルプススタンドの最上部から観戦した関学vs明治は、昭和の名勝負のひとつで、多くの人たちから今でも語り継がれています。隣同士で話ができないほどの地鳴りのような大歓声。私が若かりし日に遭遇した学生スポーツイベントの強烈な思い出です。

 かつては、阪急電車の西宮北口駅の近くには、フットボールの試合会場、西宮球技場と西宮球場(西宮スタジアム)がありました。プレーヤーのみならず、幅広い年齢層に根付いた観戦文化もあって、とても良い雰囲気でした。誤解を恐れずに書くと、関西が失った学生フットボール文化の拠点だと思っています。

 一方、失われていないものがあります。それが毎年12月に阪神甲子園球場で行われる「毎日甲子園ボウル」です。

 小学生フラッグのチームを創って二年目の06年には、チームの子どもたちがハーフタイムのイベントに出させていただきました。美しいグランドから見上げたスタンドの威容や芝の匂いは今でも素晴らしい思い出です。09年には、前座として行われた関西小学生フラッグ決勝戦の審判団に入れていただきました。以後も、甲子園ボウルは、フラッグフットボールに熱心に取り組んでくれています。

 冒頭の2年生は、甲子園の美しい芝の上で楕円球に触れて、競技の扉を開いてくれました。そんな彼らの受け皿として機能できるよう、チームづくりに取り組まなければならないと思っています。
 整備された仕組みでフットボールに関わった子どもたちは、競技者として、あるいは、熱心なファンとして、必ずフットボールに帰ってきてくれると信じています。

2016年6月20日月曜日

たくさんの新人を迎えて思ったこと

今年の春は、幼稚園児から小学4年生まで、低学年を中心に、例年より多くのニューカマーが来てくれています。とても賑やかです。

みんな楽しそうにしてくれていて、まずは安心。このままこの競技を続けてもらえるよう関わっていきたいです。

笑顔があふれるグランドにあっても、何かやってやろうという顔、うまくいかなくて悔しがる顔がちらほら見えます。なんだか嬉しくなります。

小学生スポーツは、毎年選手が入れ替わるため、戦力の安定やチームカラーの保持が難しいものです。子どもたちに変容を促したり、戦略・戦術面で補ったり、さまざまな施策を講じることになるのですが、欠かせないのは互いに競い合うマインド、競技に対する正しい理解だと思っています。

そういった意味で、今年の新人たちには期待しています。幼くてもキラリと光るなんて、たいしたもんです。

黎明期はアメフト思考。その後にはメンタリティ重視。近年はシンプルなプレー選択と確率論。これまでの変遷。
そして今年、12年目のシーズン。新たな考え方で臨もうと思っています。その方が合っていると思うからです。

久しぶりのブログ更新でした。
書きたいことが山ほどあって、これまでの戦略や戦術などの紹介を考えていますが、きちんと進めていかなくてはと思って反省しています。どうか長い目で見てやってください。

2016年5月1日日曜日

ブログ「RED ZONE」でチームが紹介されました。


本村さんのブログ「RED ZONE」でチームの紹介をしていただきました。
とても光栄です。ありがとうございました。

チーム紹介「鈴原ファイティングローゼズ」

関東と関西の交流は、競技振興のために欠かせません。今後ともよろしくお願いいたします。

2016年4月30日土曜日

パッシング・モア採用の頃



パス攻撃では、徹底した確率管理で仮説を立てます。私たちにとっては、成功の近道です。

パッシング・モアに移行した2011年頃は、シューティング能力が開発途上でした。
そこで、当時はレシーバーのコースを5つに限定して、プレー構成の複雑化を回避していました。

・POST
・CORNER
・STREAK / FLY
・SLANT ~ ACROSS
・SIDELINE

フィニッシュする場所、つまり、捕球する場所を決めて、パサーが投げ込みやすいようにしました。

ビデオは小学6年生と中学1年生の5人でチームを組んで、女子の大会に参加した時のものです。
大学生や大人を相手に得点を重ねました。

ところで、ここ数年、小学生には、「パスゲーム」と呼ぶ3オン3のパッシング・ゲームをさせています。レシーバーにはパスコースを与えず自由に走らせて、サッカーで言うところのスペースを見つけさせます。
ディフェンスを騙す、あるいは、緩急をつけて抜き去るといった技術の習得に良いと思います。
子供たちがこれらを理解するまでには個人差もありますが、『これか!』と気づいてブレイクスルーを体感してくれれば、後の成長が見込めるようになります。
パサーにパスを投げ込む感覚をつかませるのにもいいです。

この「パスゲーム」は子供たちに人気があります。
厳しい練習もいいですが、時々、気分転換に時間をかけてさせています。
そもそもフットボールは楽しいものです。

ハドルボウルがもたらした効果

3年前に始まった全国大学OB対抗チャリティ・フラッグフットボール大会 THE HUDDLE BOWL は、競技人口を劇的に増やしました。

大会を通じて得られた収益金は、3歳から18歳の難病と闘う子どもたちの夢をかなえる国際的ボランティア団体「メイク・ア・ウィッシュ・インターナショナル」の日本支部、「メイク・ア・ウィッシュ オブ ジャパン」に寄付されます。

『かつてチームや己のために戦ったフットボーラーたちが時を経て、難病と闘う子どもたちのために再びフィールドに還ってくる』。意気に感じ、身震いをおぼえるものです。
アメリカンフットボールの普及、アメフト復興のために、即戦力となる競技経験者の登用が狙いであるのと同時に、まだ身近ではない『弟分スポーツ』フラッグフットボールにとっても、スポーツ・マインドがある大会、そしてそれに参加するプレーヤーの増加は、競技振興の起爆剤となっています。
現役時代の復刻プレーや、ガチンコの真剣プレーがみられたり、観戦にも適しています。

「ハドルボウル」がもたらした効果です。

昨年度は、4月と1月に行われた  THE HUDDLE BOWL 、そして7月に行われた現役支援の大会 NEW ERA HUDDLE BOWL と、一年間に三度の「ハドルボウル」に参加させていただきました。とても光栄でした。

出身大学を背負ってのゲームでは、どうも熱くなるきらいがあり、いささか反省もあります。
先の大会では負傷してしまい、もうすでにそのケガも癒えつつありますが、しばらくの間は、「本業」
の小学生チームに集中したいと考えています。

ジョー・モンタナやダン・マリーノ、ジェリー・ライスやディオン・サンダーズといった往年のNFLスターが、楽しそうにフラッグに興じる様子は古くからのファンを魅了します。
本当は、ああならないといけないなあ。今はそう思っています。

この「ハドルボウル」が、今後も末永く開催されることを願っています。

2016年4月25日月曜日

フラッグフットボール版ワイルドキャット・オフェンス

2009年。マイアミ・ドルフィンズの「ワイルドキャット」が話題でした。 高校フットボールのような戦術は当時のNFLの常識を覆しました。

私たちは、小学生フラッグフットボールに置き換えて採用しました。

なぜならば、当時のメンバーに合っていたからです。デイライト・ランができるQB、爆発的なジェット・スイープでゲインできるRB、そして、シュアハンドのレシーバーに恵まれていたからです。

その年、初めてのリーグ戦勝ち越しを達成して関西小学生3位、翌年の2010年も愚直に追及して、初優勝を成し遂げ、西日本大会まで進みました。



動画は、さらにその翌年の2011年、岩国米軍海兵隊基地でのU13トーナメントのものです。
メンバーの多くは女子、後に日本一となった子たちです。

NIRSAルールで行われた試合は7人制で、日本の5人制とは異なりますが、バランスよくオフェンスができている様子がわかると思います。

ちなみに、それ以降もこのスキームを使用しましたが、あまり結果が出ませんでした。
ミスマッチを承知で臨みましたが案の定、駄目でした。
結果的には、時どきに戦略・戦術を再考、最適化するきっかけとなりました。無駄な経験や失敗はないと思っています。

2016年4月24日日曜日

がんばれ熊本リトルマーベリックス


このたびの熊本地震で、尊い生命を失われた方々に深く哀悼の意を表しますとともに、被災された皆さまに心よりお見舞いを申し上げます。

九州ディビジョン「熊本リトルマーベリックス」の子どもたち、ご家族、チーム関係者の皆さまがご無事とのこと、お返事をいただきました。
不安な日々をお過ごしと存じます。一日も早くふだんの生活に戻られますように、そして、チームの活動を再開して、ふたたび強いチームづくりを続けられますことを心よりお祈り申し上げます。

これまでともに戦ってきたリトルマーベリックスの子どもたちと、また西日本大会で対戦ができますことを楽しみにしています。

日本選手権での決勝インターセプト・リターン・タッチダウン

中高生5人で挑んだNFL FLAG FINAL 2014 日本選手権大会の女子決勝戦。
全国制覇・日本一を決めたのは、試合時間残り30秒で見せた執念のプレーでした。

 

実力、読み、あきらめない気持ち、そして運。
すべてを備えた歴史的なタッチダウン、「サヨナラ・ピック6」です。

現在、彼女は高校ハンドボールで主将として活躍中です。
先月には、全国高校選抜大会へ進み、初戦で敗退も、
チームの得点15点のうち9点をたたき出したという記事を新聞で読みました。 

他の球技との融和性、親和性もあるフラッグフットボール。
この競技が女子スポーツとして認知され、成立、確立することを願います。

2016年4月20日水曜日

全米チャンピオンからもぎとったタッチダウン

パートナーがすすめてくれたブログ・ライティング。今夜も頑張って書いてみます。

チームの黎明期、2007年の4月には、全米チャンピオンが来日、夢の対戦が実現しました。
試合は、もちろん、ボロ負けでしたが、関西唯一のタッチダウンが飛び出したのは、最後のシリーズの4thダウンでした。

この動画は、その時のカウンタープレーです。
右へのガードリバース・フェイクから、左のオープンを走るシンプルなハンドオフ・プレーです。

プレーのニックネームは、ボールキャリアの名字をもじって「コバ」。当時のキラー・プレーでした。
2010年に初出場を果たした西日本大会の第一プレーでは、当時のメンバーへのリスペクトを込めて、この「コバ」を使いました。

荒削りの頃の映像ですが、キャリアーが少し右へスタートしているのは、このプレーの意図を理解しているからこそです。

2016年4月19日火曜日

女子フラッグフットボール界のスターが進んだ道

かつて、高校フラッグフットボール界で全米一のQBと言われたハンナ・シャイブルさん。
フラッグフットボール、バスケットボール、そしてバレーボール、3種目でチャンピオンを経験した女子アスリートです。 当時、私たちの女子チームの活躍ぶりを応援してくれていました。

現在は、ジョージワシントン大学に在学中で、NCAAバスケットボールのスーパースターです。 
最近、彼女が受けたインタビューの動画を紹介してくれました。 女子フラッグフットボール選手が目指すべきヒントが満載です。

2016年4月18日月曜日

経験の共有・ビデオ公開 ~真の競技振興にむけて

フラッグフットボールは、小中学校の学習指導要領で例示解説されてから、小学校の教育現場を中心として急速に経験人口が増加しました。
とは言えども、やはり馴染みのない競技なので指導者不足は否めません。見たことがないスポーツを教えることで生じる負担を誰も選択しないでしょう。
誤解を恐れず言うならば、フラッグフットボールがガラパゴス化して独自に発展、アメリカンフットボール由来の競技として認識されないのも残念だったりします。
以前から考えていたことなのですが、これまでの11年間でチームが取り組んだプレーのスキームや、日ごろの練習方法などを広く共有するために、動画を公開していきたいと考えています。
手際が悪いことと検索能力のなさもあって、莫大な量のビデオのから適切なものを選ぶのには時間がかかりそうですが、少しずつ取り組んでみたいです。
リーグ思想のような考え方への憧れでもあります。チーム間で互いに高めあい、リーグ全体のレベルを上げる文化。
真似事ではありますが、競技振興のために役立ててもらえることがやりたくなってきました。

2016年4月17日日曜日

人が成功する姿に揺さぶられる、この不思議な喜び

アメリカンフットボールの専門誌「アメリカンフットボール・マガジン」に一昨年の女子チーム日本一の記事が掲載されてからは、チームに関心を持っていただく機会が増えました。とてもありがたいことです。

朝の通勤や近所を散歩している時には、当時のメンバーのうち何人かと出会うことがあります。彼女たちは今現在フラッグフットボールから離れているため、「チームの子」というよりは、「幼いころから知ってる近所の子」という感覚になっています。記事を読み込むと、ともに日本一を目指していたころのことが新鮮で不思議です。

昨日は職場で仲間が達成感や安堵感をおぼえることがありました。本気で成功や達成を追いかけている姿はオーラを放っているものです。まわりからの何気ない手助けが自然に生まれます。真面目に打ち込む人には魅力があります。成功させたい人にはそうなってもらう。自分はそれを支える。それに尽きると思います。ちょっとした運も転がり込んできたりもします。

仲間の成功の翌日、機嫌よくのんびり過ごす日曜日。久しぶりに、この女子日本一の記事を読んでみたくなりました。

2016年4月16日土曜日

今年度の練習を開始


新年度の初練習の今日、私は仕事で欠席しました。コーチ仲間に助けられ、無事に安全に進行した様子。

写真を見てほっとしました。規律正しく整地する姿に、競技への真面目さが伝わってきます。

新チームのことを考えると楽しくなってきました。

2016年4月15日金曜日

フットボールの神様は存在する。

フットボールの神様は実在する。
どの世代にも、そう話してきました。
同じくらいの背丈で、似たような年格好、どちらが勝ってもおかしくない戦況。勝つか負けるかは運次第。最後の最後は運。
その運を決めるのは神様。フットボールの神様。
神さんが勝たせたくなるような選手になれ。勝たせてもらえるチームにしろ。
カッコ悪いことするな。ボールや道具を大切に扱え。人のことを優先しろ。自分のことは後回しにしろ。
自分はさておき、子どもたちには、そう話して教えることにしています。
何故ならば、フットボールの神様は本当にいると思っているからです。そうとしか思えないことを経験できたからだと思っています。

2016年4月14日木曜日

究極の勘違い

子どもたちのスキルを伸ばすために、かつて行っていたことのひとつに、映像の編集があります。
子どもたちのプレーはもちろん、NFLやNCAAも含めて。ずいぶん時間と労力を費やしたものです。
子どもたちに、良い意味での勘違いを起こさせることができます。心理アプローチとして有効だと思います。
またいずれ、実例を紹介したいと思います。時間と労力を惜しまずに取り組む価値はあります。

2016年4月13日水曜日

新年度に思う

新しい年度、新しい学年も始まってから、もう既に、ずいぶん日にちが経過しています。
仕事に追われ、この時期は余裕がなく、フラッグフットボールのことにまで頭が回らない日々です。ごめんなさい。
こんなときだからこそ、なにか感性が働いて、研ぎ澄まされていて、新しいアイデアがひらめくものだと信じることにしています。そうしてます。
チームは、大量卒業を受けて、リスタートです。非常に厳しい。一からのやり直し。
でも、日ごろから、職場の仲間、先輩や後輩、他競技経験者、頼れる人物がたくさん身近にいてくれるので、あまり焦ることがありません。
競技以外から得られるヒントに助けられます。逆境にあっても、わくわくできるのは良い兆候です。
目に見える成果がないこの時期をおだやかに過ごすこと、度量を持つことは、競技を継続するコツだと思っています。
今年度も追いかけます。

2016年3月28日月曜日

最後の最後は、子ども同士の言葉

3月26日の土曜日には、今年度最後の大会、キッズ・ハドルボウルが開催されました。

トーナメントの準決勝は、今年度の全国二位、草津リトルパンサーズと対戦しました。

春の BIWAKO CUP、秋の関西大会と西日本大会、そして卒業生壮行大会の桜カップでは決勝戦で、リーグ戦を合わせると、この一年間で6度目の対戦でした。過去5回は絵に描いたような大敗、豪快に負けました。

試合は、大敗したこれまでとは異なって、序盤から一進一退で進み、ハーフタイムを12-12の同点で折り返しました。後半に入り18-12と逆転する場面もあり、チームは一体感を増しました。
後には二本のタッチダウンを許し、18-25で敗れ、今年度最後のゲームが終わり、シーズン・エンド、6年生は引退の瞬間を迎えました。試合時間残り1分でゴール前1ヤードまで迫るも、相手の好守に阻まれた姿は、とてもドラマチックに映りました。

ゲームを通じて、7人の6年生には鬼気迫る表情が見られました。まもなく中学校に入学するこの時期、仲間との別れを惜しむかのようでした。互いに鼓舞しあう様子が印象的でした。双方向、多方向に交わされた技術的なアドバイスも的確でした。

コーチや大人の言葉も重要ですが、やはり最後の最後は、子ども同士、選手同士の言葉に優るものはないという実感があります。そういうチームづくりを目指すことがコーチングの基本、チーム・ビルディングの近道だと思いました。

2016年3月23日水曜日

コピーを作らない、焼き直しをやらないという心意気

チーム運営は年度ごとに更新されます。競技団体のスケジュールや学校暦がそうだからです。今のこの時期、年度末から年度初めにかけては、その準備期間です。
毎年毎年、金太郎飴のようにチーム組成ができないのは学生スポーツの宿命、運命、性(さが)。小所帯のチームであれば尚更です。
これまでのチームのコピーを作らない、前例踏襲主義に陥らない考え方は心がけたいものです。少し手を加えて焼き直しを狙うことも、できれば避けたい。これらを狙えば必ずチームのサイズやダイナミズムが縮小すると理解すべきと考えてます。
最初はまわりから理解されなくても、とんがった考えを持ち続けないと、バックグランドを持たない小所帯なんて吹っ飛んでしまう。そう考える方が自然だと思っています。大量卒業ショックの今、これまでからと同様、そんな心意気を忘れないでいたいです。

2016年3月19日土曜日

課題と向き合うマインド 「岩国米軍基地遠征の思い出」

関西小学生・初優勝の翌年、2011年は、課題と向き合ったシーズンでした。

小学校を卒業して中学生となった女子をどうにか試合に出させたい。
そのために実現したのが岩国米軍基地での大会参加でした。

学事スケジュールが異なるアメリカでは、参加資格13歳以下というレギュレーションがあると知り、夏からコンタクトをはじめて12月の大会に参加させていただきました。

このことについては、遠征を前に、スポーツライターの方が取り上げてくださいました。
(2011年11月11日付 日本経済新聞・夕刊「いまドキ関西」欄)


NIRSA(全米学内対抗レクリエーショナルスポーツ協会)が定めるルールを経験できたことは今でも貴重です。

フィールドが100ヤード×40ヤードと、JFFOルールの50ヤード×30ヤードよりかなり広く、使用するボールも日本とは異なり大きなサイズのものでした。パントも許されていて、スピンをしても構いません。
ファーストダウン獲得までは20ヤードを必要として、そもそも7人制なので戦術スキームも別です。スクリーンブロックもOK、試合時間も長く「アメフト的」。

当日は、日本ではあまり馴染みのないダブル・イリミネーション・トーナメントで行われ、大きな優勝トロフィーを手に帰ってきました。

地元新聞では、大々的に取り上げられました。今でも米軍海兵隊のホームページで閲覧できます。

(2011年12月9日付 THE IWAKUNI APPROACH)


基地内での「アメリカ体験」など、当時のメンバーとはたくさんの思い出を共有しています。
アテンドしてくださった日本人スタッフの方には事前調整からずいぶんお世話になりました。




圧倒的な強さを大量卒業で失い、レギュラー5人のうち4人を女子が占めるチームとなり不安なシーズンでしたが、公式戦においては、春はトーナメント準優勝、秋は関西ディビジョン3位という好戦績を収めてくました。

その原動力は、当時の厳しい練習を乗り越えた女子の「真面目さ」だったと思います。フラッグフットボールを競技として評価して、全力で取り組んでくれました。

この頃の女子は、翌年の2012年に 第一回 NFL FLAG 岡山大会でエキシビジョン開催の中学生女子で勝ち、正式採用された2013年には優勝してタイトルを獲りました。
また、続く2014年には一般女子で優勝、チーム名を全国に知らしめてくれました。

環境のせいにはせず、課題と真っ向から向き合い、変化に対応するマインド。これらが生まれ、育まれた時期でした。

この春、チームは7人の6年生男子が卒業、大量卒業と向き合うことになります。また新たな取り組みが始まります。

ないものはない。でもやる。

このあいだの休日の朝、伊丹市に隣接する都市を闊歩していると、小学校の校庭で少年野球チームが練習を始めるところでした。
お揃いのユニフォームを着た子どもの数は7人。大人9人とともにランニングや柔軟体操をしていました。
子どもの数より大人の数の方が多い!
細やかで丁寧な指導をされている様子が印象的でした。
私がフラッグフットボールのチームを立ち上げた05年、初練習に来てくれた子は7人でした。
教えるのは私一人。自分で始めたことなのに、とても緊張していた記憶があります。
今年度のコーチ仲間は私を含めて三人。それぞれの仕事の都合などもあり一同に揃う機会も限られました。
あまり好きな言葉ではありませんが、われわれはボランティア。
仕事や私事の優先も年齢が増えるとともに当然にあるわけで、一人で二十数名の小学生を相手にすることもありました。
それでもチームのスキルや質を担保したい。特に最高学年の6年生には結果を出させてやりたい。
解決のためのキーワードは「言葉」と「回転」でした。
言葉を上手に使って伝えて、回転数を増やして色んな機会や場面をつくって経験値を上げる。
つきっきりで教えたくてもコーチの数が足らない、天候やグランド都合で練習回数も限られている、それでも結果を出させてやりたい。
ないものは、ない。しゃあないものは、しゃぁない。でも、やる!
そう割りきって、環境のせいにせずに、現実を受け入れて知恵を絞る。
これや!と決めたら実行。
そして、何よりも信頼してもらえるよう、何か仕掛けや仕組みを考えること。
もうひとつ、子どもたちを信じること。
今年度は、そんな一年間でした。
そうして、ともに戦ってくれた6年生たちは、明日の日曜日と来週の土曜日に行われる大会を終えるとチームを卒業します。
最後なので、のびのびとプレーをしてほしいと思います。

2016年3月18日金曜日

少年少女アスリートの伸び代を保障したい

集団を競技志向に変革しようと決めたその日から、練習メニューやチームの仕組みはトップ層にいる子たちに合わせました。09年ごろからそうしています。
分厚いプレーブックやプレーのバリエーションを用意することよりはるかに重要と感じたからです
全員が活躍できるプレーをやる。
一人ひとりがプレー参加できるようにする。
凝った作戦、面白いプレーをやる。
これらとは決別して、シンプル、スピード、確率にこだわりはじめました。
競技として結果を出すための考え方は、無機質にとらえられがちで、勝利至上主義と混同されがちですが、そうではありません。
トップ層の正当な評価と伸び代の保障です。少年少女アスリートの育成をするなら責任があるわけです。
この考え方には、ただの掛け声や号令、精神論やハッタリは、これっぽっちも必要ではなくて、指導者のコミットがだけが求められているのだと思います。
日本一をめざすぞ!オーッ!
子どもたちとともに、声をあげたその日から、コーチは重荷を背負うわけです。
必要なことを実行したうえで、本当に実現しなければならなくなるわけです。
機会均等は尊い考え方ですが、これを競技に持ち込むと、トップが伸びない、これはトップの機会が失われることを意味します。
あるいは、トップが競技から去る、他の競技へ流れていくことになるわけです。

2016年3月16日水曜日

理想の競技者像を伝える

コーチは、子どもたちに、理想の選手像を示し、同時に、自らはどうありたいのかを話す必要があると思います。
また、チームはどこを目指しているのか、競技はどうあってほしいか、これらも詳しく伝える必要があります。
フラッグフットボールは、楕円球やフラッグといった、ふだんから見なれていない用具を使う競技ということもあってか、子どもたちの関心を引きやすい反面、遊びとの境目がなくなりがちだと感じています。
理想像を言葉だけで伝えるのは容易ではありませんが、これまで様々な仕掛けをしてきました。チームのノウハウ。
フラッグフットボールやアメリカンフットボールの映像を効果的に見せたり、実際に良いプレーヤーと会わせるなど、小さな仕掛けを考え続けました。
そのためには、失敗と成功を繰り返しながら、取り組んだことがあります。
所謂、企業秘密。

2016年3月15日火曜日

平等は不平等

持って生まれた先天的な能力を持つ子ども。
努力して後発的に能力を勝ち取った子ども。
潜在化した努力。人知れず努力している子ども。
顕在化した努力。目に見えて努力を重ねる子ども。
どの子たちも評価したいものです。
競技型のチームを運営すると決意した日からは、これら評価すべき子たちを優先、劣後させないことを決めました。
平等に起用して、平等にプレー機会を与える。
この考え方は、時に、競技志向の子たちの意志と伸び代を奪ってしまいます。
競技型チームの運営において、選手起用やプレー機会は平等にはなりません。
レクリエーションでは基本となる機会均等の原則は、競技志向を決意した時点から成立しなくなります。
能力を優先する潔さが求められます。

2016年3月13日日曜日

プレーブックの「間引き」

今年度は、シーズン当初から最後まで、子どもたちのプレーだけでやり抜きました。
春には関西の公式オープン・トーナメントBIWAKO CUPで高学年と低学年がともに二年ぶりの準優勝。
その結果によって、8月に横浜市の慶応大学日吉キャンパスで行われた、関東・関西 Champions Cupに関西第二代表として出場しました。
試合はボロ負けでしたが、とてもよい経験ができました。
新横浜へ向かう行きの新幹線の中で取り組んだことがあります。
6年生二人には、ずっと前からプレーブックを作らせてました。そのプレー数は半端なく増殖を重ねてました。
彼らは、そのすべてをかっこいいカードにして持参。その数は50枚を超えてました。二人分を合わせると100プレー超。小学生男子らしくて、それはそれでかわいいけれど。
新幹線の車中、二人と向かい合ってミーティングをしました。新大阪を出て名古屋までは腹ごしらえ。その後の小一時間をかけて。
彼らが使えると思っているプレーを5つ。さらに、こちらが見極めたものを追加で5つ。二人分をあわせて20枚を選んで、余ったものは全部、バッサリ間引いてやりました。
「ごめん、これ全部いらんわ」。
ここで選んだプレーだけで、関西と西日本を突破、日本選手権まで進んでくれました。
彼らの手によって作られたプレー。そして間引かれた後のプレーが機能。これには訳がありました。
あいつらわかってくれたかなあ。

5年前とのチーム比較

関西リーグを初優勝した5年前と現在のチームの比較です。
どちらの世代もチームの歴史に残る強豪。ダイナスティ。

ふたつの異なる世代のキーワード。

【Class of 2010】
ミーティング、映像、反復練習、練習“時間数”、ランニング、オプション、スピード、多彩、信頼関係、根性論、情緒的

【Class of 2015】
ふだんの声がけ、吟味、練習“回数”、パッシング、シューティング、シンプル、確率論、現実的

【共通】
責任感、欲求、フットボールの神様の存在、最後は「運」

いくつもキーワードが異なるのは、選手気質、練習環境、練習日程、そして競技レベル、などといった背景があってのことなのですが、
必要に応じてチーム運営に変化を持たせることは、私たちのような小所帯にとっては生命線のようなものだと思います。

タイムマシンがあれば、この二つのチームを戦わせてみたいです。どちらが勝ってもおかしくありません。

スーパー・プレーを見せないと、伸ばせない。


チームが、競技集団なのか、レクリエーションの集まりなのか。これらの違いをきちん示すことが指導者側に求められていると思います。

子どもたち、保護者、そして指導者は、これらをきちんと理解したうえで、集団を作り上げる力を持たなければ、方向性や軸を失いかねません。

最高峰の小学生フラッグフットボール選手が持つ、高い技術力、真剣な眼差し、スピードとクイックネス、迫力や放つオーラ。
これまでチームが歩んできた年月において、これらに気づいた子、そうなりたい子だけが、こちらを追いかけてきました。

子ども一人ひとりの成長や発達を理解する立場であると同時に、トップを目指す子たちの「トップなるチャンス」そして「トップになりたい気持ち」を失わせてはいけないと考えています。

小学生の低学年にはフットボールを楽しむ機会を提供する。
高学年ではトップを目指す硬派な仲間を尊重する。
今のチームづくりの理想としています。

2016年3月10日木曜日

DBが教えるクォーターバッキング

私のアメリカンフットボール経験はディフェンシヴ・バック、DBとしてのもの。
DBが描く理想のQB像は、もちろんあるけれども、クォーターバッキングを教えられるかどうかはまったく別のこと。
美しいスパイラルがかかったボールを投げる。なんというこの専門性の高い特殊技術。
私以外、ズバリ本職の方が、よっぽど上手く教えられると思います。
第一、子どもたちの方が格段に上手かったりします。子どもたちに勝てない。勝ててない。
でも、こちらには、パスを通すための能書きがあります。DBが教えるQB。
今年度は、春から伝え続けたことがありました。
点、線、球筋、球速、放物線、地上高、時間軸、確率、愛、そして、運。
今年度のQBは、チーム歴代最高のレイティングを記録してくれました。被サックは多かったけれど。
彼には厳しいことを言い続けてきましたが、卒業まで本当によくやってくれました。

2016年3月9日水曜日

勝つためには必要なパラダイム・シフト

フラッグフットボールチームを勝たせるには、ある程度、アメリカンフットボールを「忘れなければならない」。
そう気づいたのは今から5年前、いみじくも、関西小学生リーグで初優勝したシーズンでした。
優れたQBとRB、そして一発のあるWR、バランスの良いオフェンス陣が自慢でした。まさにリーグ屈指。
そのうえ、ほぼ年間を通じて、土曜の午後に加えて日曜・祝祭日は二部練習。
その頃の小学生チームとしては、日本で一番走り込んだチームだと思います。
スピードだけでなくトルクの効いた、まさに「走るチーム」でした。
プレーの組み立てはと言えば、ミスディレクション誘発型。ラン・オリエンテッド。
当時はコーチがハドルでプレー指示をする、ハドルコーチの時代。
プレーブックもゲームプランも時々のプレー選択もすべて私の役割。
その背景や根拠、拠り所のすべては、私のアメフト経験でした。
西日本大会の決勝戦では、後一歩のところで破れ、東京ドーム行き目前で子どもたちの夢が散りました。
子どもたちは泣きました。
親もコーチ仲間も、見ていた人たち、私以外の大人も泣きました。
原因は、私の「アメフト脳」でした。
これに気づいてからはというものの、自己嫌悪の毎日を過ごしました。
今でも当時のメンバーをのことを思い出すたびに、このことを引きずって生きているような感覚に陥ります。
チームにいた女子は、後には中学生と一般でそれぞれ日本一となってくれて、私のアメフト脳を改善してくれました。パラダイムシフトのきっかけでした。
今年度の小学生チームは、彼らが彼ら自身で組み立てて作り上げたプレーブック「だけ」で大活躍しました。
私のアメフト脳からの脱却、パラダイムシフト、その機会がなければ、
彼らを無用に制限してしまい能力を顕在化させられなかったのではないか、
彼らが繰り広げた自由で豪快なプレーは生まれなかったのではないか、そう考えています。
教えてきた子どもたちに教えられた。そういうことだと思います。

さらなるクラブチーム支援を願う

現在盛んに行われている小学校への展開と並行して、クラブチームへのさらなる支援を願っています。
競技振興には、グラスルーツの開拓や、既存クラブの高度化は欠かせないと思います。
わが国に、フラッグフットボールが紹介、導入されてから十余年。
もうすでに、次のフェーズに突入しています。

2016年3月7日月曜日

手づくりユニフォームの頃

10年前の記事。ここから1年間、子どもたちは手づくりユニフォームで試合に出ました。

この頃の気持ちを忘れることがなければ、少々のことではブレることはないと思っています。

すでに今は成人している当時の小学6年生たちが、このチームの礎を創ってくれました。なかなか勝たせてあげられませんでしたが、明るくてガッツある集団でした。








旧ブログより転載----------


手作りユニフォームが完成!

2006-03-12 23:29:23

初めての試合にむけて、ユニフォームを作りました。

昨日、フラッグフットボール教室を終えてから、梅田へ出向き、材料を購入。あらかじめ、超安価なTシャツを購入しておいたので、後は番号を入れるだけでした。

当初は、手書き(?)で書こうと考えていたのですが、画材屋で見た筆の種類の多さや、画材の多彩さに愕然。電器量販店に行って、パソコンプリンターでデザイン可能なアイロン転写紙を買うことに。

Tシャツの色が黒なので、本来は「カラー生地用」を手に入れる必要があったのですが、財布と相談すると諦めざるを得ず。不出来を承知で安価な「白・淡色生地用」を購入。そして本日、日曜日に加工を開始。午後3時過ぎから着手。休憩、食事をとりながら、完成は午後10時過ぎ。不器用もあってミスも多くて苦戦。なんとか、人数分は作ることができました。

「白・淡色生地用」のアイロン転写紙なので、文字が薄くなってしまいました。なんだか古着っぽくて、これはこれで味がある!と思うようにします。

子供たちが気に入ってくれるかどうか、甚だ疑問ではありますが、コーチからチームへのささやかなプレゼント、ということにしましょう!

難しかった!!!    


Winning Flag Football (Winning Youth Sports)

チームを立ち上げた翌年の06年には上部団体に加盟しました。
過去10年間のうち最初の3年はリーグ戦を負け越しました。
対戦チームに貢献するドアマットチームそのもの。何をやっても勝てない。
実は、コーチの仮説が間違っていということです。負ける原因を作ったのは大人でした。
そのころ、学習机をフラッグフットボールで埋め尽くし、負けた悔しさから夜中に目覚めて泣く。そんな子の存在を知りました。
ユース・スポーツを通じて勝つことの大切さを認識し、競技志向のチームを目指すきっかけになりました。
09年には初めて勝ち越してリーグ3位。以後は勝ち星先行のチームになり子どもたちに自負やプライドのようなものが根づくようになりました。
相手チームがいる以上、絶対はないわけですが、必ず勝つ方法はあると信じています。
これらから逃げずに向き合うのは、コーチの役割、大人の責任です。
競技志向かレクリエーション志向か。どちらも尊い考え方です。
どちらを選ぶかはチームの理念に因りますが、これらも深く関係するわけです。
戦績は日ごろのチームづくりの結果です。
少しずつ紐解いてみたいと思います。今思うと、毎年異なったものでした。
チームを勝たせる方法は必ず存在します。ただ、それだけを追い求めてきたことは、これまで一度もありません。
これからもありません。

2016年3月6日日曜日

理念

チーム目標とコーチング哲学。
そして理念について。
チームを創った頃の思いは色々あります。
当時からの目標や哲学は、けっして忘れないでいたいものです。
ただ闇雲にやったり、自分個人の実績づくりや余暇のために他人や集団を利用してはいけない。
そんなものは長続きしないし、望まれていない。
人から愛されないどころか、いずれ皆が離れて先細りするに違いない。
そう思うからです。
そもそも、そんなためにやってへん。
"Team Goals"
Be the National Champions
Be a Respected Team 
「チームの目標」
日本一になる
尊敬されるチームになる
めっちゃシンプル。
関西初優勝、西日本準優勝した10年。チームの子どもたちと共有した思いです。
実は、これら二つを同時にやることは今でも難しい。
"Coaching Philosophy"
Serving Local Youth Through Football Experience
「コーチングの哲学」
フットボールの経験を通じて少年少女を支える
これは、チーム設立当初からの思いです。
フットボールは様々なことを学ばせてくれました。これまでの自分の人生を支配し続けてている教え。
これらをどう正確に理解して、どのように子どもたちに伝え残すか。
これらのことを守り続けたうえで、追いかけ続けていることがあります。
チームを勝たせることです。
勝利至上主義とは一線を画したものという前提で、
また、競技とレクリエーションの狭間にあるものをよく理解したうえで、
少年少女スポーツに必要な考え方と信じています。
子どもたちが、その必要性を教えくれました。
"Winning Flag Football"
"Winning Youth Sports"
勝たせる方法は必ず存在する。
コーチである大人の仮説次第。したがって環境や人のせいにはできない。
つまり、すべて大人の責任。子どもたちは見ています。
これらすべてを全部ひっくるめたものが理念。普遍的な思い。
なかなか言葉にはできないものだったりします。

Shairing the Experience

Shairing the Experience.
2007年に来日、対戦した全米チャンピオンチームが日本の子どもたちを指導した際に掲げていた言葉です。彼らのおおらかさやマインドには感心しました。
2005年より他のブログサービスを利用して数年ほど運営、後には公開を止めていた「フラッグフットボール&コーチング」を再開します。
当時のブログを書き始めた動機と言えば、競技やチームの広報になればという程度のものでした。
また、そのころ広がりはじめていた「コーチング」という概念や技法へのアンチテーゼのような思いもありました。
次第に備忘録として機能するようになり、頭の中を整理するのに好都合で重宝しましたが、FacebookやTwitterといったSNSが台頭しはじめた頃からは、そちらへシフトして現在に至ります。
一念発起して小学生フラッグフットボールチームを創ろうと決意したのは2004年。準備を重ねてチームを立ち上げたのはその翌年。私が38歳だった頃でした。
そこから数えて丸11年。この4月にチームは12度目の春を迎えます。
一気に駆け抜けた四十歳代は、環境変化への対応の連続でした。チームも自分自身も試行錯誤の毎日で、多くの失敗やささやかな成功を経験できました。
そんな経験を共有して、フラッグフットボールだけでなく、少年少女スポーツ全体のために役立ててもらえるよう記録しておきたい。これがブログ再開の動機です。